「京都」を英語で案内するには
もし、外国人を連れて京都を観光する、となったらどうしますか?
私は、現在のようにビジネス英語を教える仕事を始める前は、外資系の精密機器メーカーのマーケティングマネージャとして働いていました。その当時、といっても、もうかれこれ10年以上前のことになりますが、国際学会で来日したドイツ人と一緒に、京都観光をしたことがありました。
折は3月下旬。ちょうど桜のシーズン。
多くの外国人ゲストが「桜の季節だなんて、実にいいタイミングに来日できた!」とニコニコ。日本から学会スタッフとして参加していた私達も、いつもの出張よりなんだか華やいだ気分に。
ドイツ人のHさんは、私より二回り近く年上の、痩せ型で背も高く、ちょっと頑固そうなオジサマ、という風情だったが、少し話してみると気さくな人であることがわかりました。
学会が午前中に終わったある日、Hさんが
「これから清水寺へ行ってみたいのだが、誰か案内してくれないか?」
とのこと。
ちょうど時間が空いていた私がガイド役を買って出ることに。
宿泊していたのは三条あたりのホテルでした。
そこから祇園を抜けて清水まで、「歩いていきたい!」というので、お付き合いすることに。
当時はまだスマホで地図を見る、ということはなく、手元にガイドブックをもっての散策だったと思います。
そこからが”珍道中”の始まり始まり、始まり。
京都には何度か来たことがある、というHさん。
とはいえ、やはり見るもの、聞くものすべてが目新しいわけで、それを同行の私に質問してきます。
まず、歩き始めて早々に「これは何だ?」と聞かれて困ったのが、お地蔵様。
それも、いわゆる人の形をしたお地蔵様じゃなくて、荒削りの大きな岩に、赤い布切れがエプロンみたいにかかっただけの、超・シンプルなお地蔵様が道中に現れたのでした。
うーん、これは説明に困った!
その場は、「ちょっと待ってください。これについては後で説明しますので。」 とお茶を濁して、とりあえず先へ。もうしばらく道を進むと、よかった!本物のお地蔵様が現れた。
「あれを見て下さい。先ほど見たものは、アレの”原始的バージョン”です!」
と説明しました。
ドイツ人Hさん、激しく納得。
またしばらく道を行くと、今度は京都独特の町家造り、というのだろうか、間口が狭くて奥行きのある建物が並ぶ通りにやってきた。
「なぜ、京都の家は、こんなに幅が狭く、奥行きがあるのだ?」
というHさんの質問に対し、私はなんと回答したでしょうか?
「昔、ドイツには”窓税”がありましたよね? アレと同じなのです。京都では、間口の広さで税金が決まっていたのですよ」
ドイツ人Hさん、激しく納得。
さあ、いよいよ清水寺に到着。
清水の舞台から京都の街を一望し、音羽の滝で柄杓を使って水を受け、すぐ近くにあったお茶屋さんで抹茶とぼたもちをいただくことに。
Hさん、緑茶は飲んだことがあるが、抹茶は初めてだったそう。
「うっ!苦い!どうしてこんなに苦いお茶と、こんなに甘いお菓子を一緒に食べるんだ?」
「あら?あなたたちヨーロッパ人は、エスプレッソとチョコレートを一緒に食べますよね?それと同じですよ。」
ドイツ人Hさん、激しく納得。
最後に私は、Hさんに一つなぞなぞを出しました。
「日本語には、清水の舞台から飛び降りる、という表現があります。どんな意味だと思いますか?」
Hさん「???」
私「この舞台から飛び降りる、つまり、すごく勇気がいることをやる、という意味なのですよ」
Hさん、またしても激しく納得。
音羽の滝のあたりから、清水の舞台を見上げて、うーむ、と唸っていました。
実は、これらを表すのに私が使った英語力はせいぜい”中学レベル”の英文法ばかりです。
例えば、
「アレを見て下さい!先ほど見たのはあれの原始版です」
Look at that! We just saw a primitive version of that one!
「あなたたちヨーロッパ人は、エスプレッソとチョコレートを一緒に食べますよね?それと同じですよ。」
You Europeans have espresso with chocolate. The same.
くらいの、構文すら危ういレベルの英語だったとしても、相手の頭に思い浮かぶものを上げることができれば、じゅうぶん伝わるのですよ。
その後、帰国したHさんから、とても心のこもった御礼のメールをいただきました。
今まで何度も日本に行ったことがあったが、今回私がご案内した京都は非常に発見が多かった、とお褒めの言葉を頂戴しました(^^)
さて、この体験から言えることは何でしょうか?
日本にしかないもの、日本文化や風物を外国人に英語で説明するとき、いかにして、”相手がわかりそうなものに例えることができるか”、がカギである、ということ。
使う英語そのものは極シンプルでも、相手がイメージできるものに例えることができれば、コミュニケーションは深まる、ということ。
大事なのは、実は高度な英語力ではないのです。